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よみがえる父との坂網猟の思い出

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 最近の加賀市では、片野かも池の坂網猟で捕獲したカモの鴨料理が加賀市の特産、観光資源として打ち出しているようで、新聞紙上でも紹介されています。写真は、加賀市旅まちネットでの「坂網猟」の写真です。

 「坂網猟」と聞くと、まず私の幼いころの思い出がよみがえります。何歳の頃だったか、おそらく私が小学校に入ったころだと思います。当時、三人姉妹の真ん中の私を、父は、「鴨取り」に連れて行きました。鴨が池を飛び立つ少し前の時間帯に山に入り、場所を決めて、一番大事な坂網の準備をします。声をあげてはいけないことを命じられている私は、黙って近くの木の陰に隠れ、ただ待っています。鴨が飛び立ってくるのを、父をじっと見つめながら待っていました。

 やがて、カモの羽音が伝わって来て、薄暮の中、鴨が次々と池を飛び立ち斜面に沿って飛んできました。めがけて、父は渾身の力を込めて網を投げあげます。高くたかく数本の網を投げ上げます。カモを捉えた網がカモを絡めると、近くに落ちてきます。ソレッと父と私は網に駆けよります。

 鴨を網から外します。父は、鴨の首を手で折るようにして(今から思えば随分残酷??)、ロープで縛っておきます。私は、その鴨をロープで持っている係を言いつけられています。そしてまた、私は次の獲物を待って木の陰へ隠れ、父は、坂網の準備をします。カモが往来する数時間、その繰り返しです。カモの飛翔が止むと、父と私は、獲物の鴨をロープにゆわえたまま、ぶら下げて家路に急ぎます。

 当時は、カモ猟が地域に必要、密着した風俗、生活文化、生業(?)であったのでしょう。残酷とは思うどころか、自然から賜った、まだ温かい、美しい鴨の毛並みの美しさを、格別の思いで見つめていたように思います。 鴨を捌くのも父の仕事でした。

 今は、無形文化財にもなっている「坂網猟」は、そんな堅苦しいものでは無く、片野町の人々にとっては、ごく、当たり前の冬の光景でした。

 そして、カモ池は、春になると、何も無かったように、「鴨池」=深い湿田での田植えが始まります。

 加賀市史で藩政時代にカモ猟の特別な場所になり、戦後の一時期に占領軍の米兵が猟銃でカモ猟をしたことも紹介されています。ラムサール条約の指定に全市挙げて頑張ったこと、鴨池観察館が立派になりました。とても懐かしい思い出です。

 

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