2019年5月2日【3面】
「祝賀報道」洪水 はらむ危うさ
4月30日と5月1日、退位・即位の行事が続いた2日間は、私たちが天皇制について考える重要な機会になりました。
「天皇の地位は主権の存する日本国民の総意に基づく」という憲法の規定は、いわば「与えられたもの」であって、現在の国民が作り上げたものではありません。
この規定を実質的なものとするために、天皇の地位がどうあるべきか、私たちひとりひとりが考えなければならないでしょう。
「総意」を形成する主権者として、これは必要なことです。
問題はここ数日の大量の退位・即位関連のテレビ報道が、そうした「考える材料」を提供し得ていたかどうかです。
残念ながらそのような「主権者の意識」を問う報道はテレビではほとんどみられませんでした。
天皇制や元号制度に批判的な見解はまったく伝えられず、新しい時代が始まる、というメッセージが繰り返され、人びとの期待と喜びの声など、代替わり関連のトピックが洪水のように放送されたのが特徴ではなかったでしょうか。
貧困・格差が深刻化し、原発災害の被害も沖縄の基地問題も未解決といった状況が、元号が令和になったことで変わるなど幻想にすぎず、こうしたテレビ報道は批判精神を欠くと言わざるをえません。
天皇制と戦争
天皇制について考えるとき、忘れてはならないのは、過去、天皇の名で行われ、大きな惨禍をもたらした戦争の歴史です。
5月1日、即位の儀式で、新天皇が受け継いだもっとも重要なものは剣(つるぎ)、勾玉(まがたま)、といった三種の神器です。三種の神器は、これを受け継ぐことが天皇の証しとされる宝物(ほうもつ)です。
昭和天皇は、敗戦が濃厚になった1945年、アメリカ軍の空襲から三種の神器をどう守るかに心を砕いたと言われています。
天皇と重臣たちの最大の関心は、降伏後も天皇制を護持できるかどうかであり、三種の神器の無事をはかることでした。
一方で戦争終結の決断は遅れ、その間に沖縄地上戦があり、アジア各地で日本兵が次々に戦病死していったのです。
「剣璽(けんじ)」が何かは伝えられましたが、こうした歴史に目を向けた報道は見当たりませんでした。
右派の「本音」
2012年にまとめられた自民党の「憲法改正草案」は、前文で「日本国は長い歴史と固有の文化をもち、国民統合の象徴である天皇を戴(いただ)く国家…」などとし、第一条で「天皇は日本国の元首」と規定しています。
これが、自民党はじめ日本の右派勢力の「本音」です。
一連の代替わり報道は、全体として天皇の権威を高め、敬愛すべきもの、という印象をつくり出すものでした。
しばらくこのような報道は続くでしょう。
政治の現実への批判精神と、歴史の検証を欠く天皇報道は、天皇「元首化」という復古的な意図に貢献する危うさがあります。
主権者である私たちの警戒と自覚が改めて求められます。